東南アジア諸国連合【ASEAN】について
東南アジア諸国連合(略称ASEAN)は、東南アジア10ヶ国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力機構のこと。
本部はインドネシアのジャカルタに所在します。域内の人口は約5億8000万人と多く、近年の目覚しい経済成長に拠り、
欧州連合 (EU)、北米自由貿易協定 (NAFTA)、中国、インドと比肩する存在になりつつあります。
1961年に設立された東南アジア連合(ASA)が前身で、タイ、フィリピン、マラヤ連邦(現マレーシア)の3カ国によって結成されました。
また、マレーシア、フィリピン、インドネシアによる包括的な連合構想もASEAN設立の土台となっているEAN の設立によって発展的に
解消される形となったとされています。1967年8月、タイのバンコクでASAを発展的に解消する形でASEANが設立されました。
原加盟国はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国で、いずれも反共主義の立場をとる国でした。
各国外相共同の設立宣言は、東南アジア諸国連合設立宣言やバンコク宣言などと呼ばれています。
東南アジア諸国連合の加盟国
1967年に5カ国で発足して以来、1984年にイギリスから独立して間もないブルネイが加わるまで新規加盟国は長い間現れなませんでした。 これには冷戦期の反共主義が関連し、フィリピンやタイは反共軍事同盟である東南アジア条約機構(SEATO)の加盟国としてベトナム戦争で アメリカを支援して南ベトナム(ベトナム共和国)へ派兵を行いましたた。その後、1980年代以降にシンガポールやタイなどで 高度経済成長が実現すると、徐々に総合地域開発など経済分野での重要性が増していったそうです。 1990年代後半に同地域の北方にある4ヶ国が順次加盟し、現在に至る10カ国体制が出来上がりました。この10ヶ国からなる拡大 ASEANを"ASEAN-10"と呼ぶことがあります。特に1995年、ベトナム共産党による一党独裁が続くベトナムを迎え入れた事は、 ASEANが反共政治同盟から東南アジアの地域共同体へと変質した事を示す象徴的な出来事となりましたた。その一方、ベトナムとしても、 ASEAN発足時には北ベトナムとしてアメリカやSEATO諸国などとベトナム戦争を戦い、その後もカンボジア内戦などでタイなどと 激しく対立していた過去を払拭し、外交政策の転換と体制の安定化を完成させるためにASEAN加盟は必要でした。なお、最後の加盟国で あるカンボジアは内政事情から加盟が遅れたもので、当初はミャンマー・ラオスと共に加盟する予定でした。 ベトナムの影響力が強いラオスとカンボジアの相次ぐ加盟により、イデオロギー対立を超えた東南アジア地域統合体としての 役割をさらに強く担う事となりました。一方、アメリカや西ヨーロッパ諸国から軍事政権による強権統治が批判されているミャンマーの 加盟を認め、ASEANはミャンマーの民主化問題で「建設的関与」というアプローチを取る事を明確にしました。それ以後、 ASEANは強硬な軍事政権批判を避け、首脳会談での議長声明などの形で民主化を求める提言が続けていますが、ミャンマー軍事政権は これを拒否し、あるいは自分の計画に基づいた政策展開を崩さず、加盟国の内政に対するASEANの影響力には限界がある事が示されています。
【1967年8月8日の加盟国】
◆インドネシア
◆シンガポール
◆タイ
◆フィリピン
◆マレーシア
【1984年1月8日の加盟国】
◆ブルネイ
【1995年7月28日の加盟国】
◆ベトナム
【1997年7月23日の加盟国】
◆ミャンマー
◆ラオス
【1999年4月30日の加盟国】
◆カンボジア
他に、オブザーバー・ステータスを持つ国として パプアニューギニアがあります。また 東ティモールは、オブザーバー・ステータスの獲得、 さらにはASEAN加盟も目標とし、2007年には東南アジア友好協力条約(TAC)にも参加済です。東ティモールが加盟すると、 ASEANは東南アジアに首都を置く全11カ国を迎えて地域共同体として完成しますが、同国の独立はインドネシアとの紛争を経ており、 インドネシアとの友好関係を重視する加盟諸国はこの動きを必ずしも歓迎していません。特にミャンマーは、自国の民主化運動家である アウンサンスーチーさんが東ティモールを支持していることもあって反対を表明しており、シンガポールも東ティモール加盟には 消極的とされているようです。これに対し、東ティモールのダコスタ外相は、2010年に行った時事通信などのインタビューで、 同国は2012年までのASEAN加盟を目指しているとし、東ティモールは安定した民主国家であり、急速な経済発展を遂げていると述べ、 加盟資格は十分あるとの認識を示しました。また、ASEANの最高規範であるASEAN憲章の基準を満たすことはできると強調しました。 2011年、ダコスタ外相は、ASEAN議長国インドネシアのジャカルタで同国マルティ外相に対しASEAN加盟を正式に申請しました。 マルティ外相は共同記者会見で「東ティモールの加盟を支持し、速やかにASEAN内で話し合う」「2015年までにASEANに迎え入れたい」と述べ、 早ければ今月中にも外相レベルで協議を始める方針を示しました。ダコスタ外相と3月3日に会談したインドネシアのユドヨノ大統領は 東ティモールの加盟を全面的に支持すると表明し、他の加盟国にも大きな異論はないが、手続き上の問題などから年内の加盟実現は 困難とみられています。
東南アジア諸国連合の主な活動
ASEANの主な活動は設立当初は外相会議でした。バンコク宣言では外相会議を毎年開催することを定めています。 第1回の外相会議はASEANの設立を宣言したバンコクにおける会合です。設立当初の目的は経済・社会分野での地域協力で、 最高決定機関は年次外相会議でした。1972年、1973年から欧州共同体やオーストラリアとの域外対話を開始しました。現在はこれに日本、 ニュージーランド、カナダ、アメリカ合衆国、大韓民国、中華人民共和国、ロシア、インドを加えた10が域外対話国・機構と呼ばれます。 年次外相会議の直後に招かれた拡大外相会議を開いています。1975年以降は、外相会議とは別に、経済担当閣僚会議が年に1,2回開かれます。 1976年2月にバリ島でASEAN首脳が初めて一堂に会しASEAN協和宣言が発表され、政治協力がASEANの地域協力の正式な一分野になりました。 ASEANサミットとも称されるこの会合は当初は不定期開催で、1992年のシンガポールにおける会合の時点で未だ第4回目を数えるに 止まりました。ですが、この第4回首脳会議において3年毎の公式首脳会議とそれ以外の年の非公式首脳会議が開催されることが 決定され、1995年以降毎年開催されています。また、公式・非公式の区別は2002年に入って廃止されることになりました。 1976年2月に開かれた初の首脳会議において東南アジア友好協力条約が締結され、この条約への加盟国は2008年7月で25ヵ国に上り、 ユーラシア全体に拡がっています。
東南アジア諸国連合と日本の関係
ASEANの発足当初から日本は緊密な関係を維持し、1970年代より頻繁に首脳、外相レベル会談を行ってきています。 1974年に田中角栄首相が東南アジアを歴訪した際には日本の経済進出に反発する現地住民からの反対デモが発生しましたが、 それ以後も両地域の関係は概ね順調でした。日本にとって東南アジアはインドネシアの石油・マレーシアの天然ゴムなどの原料供給地 として重要で、さらに低賃金で良質な労働力を得られるタイやマレーシアなどは日本の製造業が海外進出をする際の有力な相手国と なりました。また、アメリカへの従属度が高い日本外交にとって東南アジアはその独自性を発揮できる数少ない場で]、1978年の 福田ドクトリンなどが発表されました。ASEAN側にとっても、地域内での覇権を求めず経済面での利益を追求する日本の進出は好都合で、 両者の関係はさらに深化しました。1981年には日本とASEAN諸国の間で「東南アジア諸国連合貿易投資観光促進センター設立協定」を結び、 日本アセアンセンターが設立されました。これは貿易の振興、日本からASEAN諸国への投資と観光客の増大を目標としたものです。 他にASEAN文化基金、日・ASEAN総合交流基金、日・ASEAN学術交流基金、などの各種基金が存在しています。 2010年からは日本国内でのASEAN諸国への理解を深めるためとして「ASEAN検定」が開始され、日本アセアンセンターなどの後援を得て、 リクルート社内に設けられた事務局によってタイ・ベトナム・インドネシア3カ国についての試験が行われています。 1997年からはASEAN首脳会議の拡大版として日本・中国・韓国の3カ国首脳も集まるASEAN+3が開催され、 東アジアの長期安定・発展を担う上で重要な存在となっているようです。 2003年は日本ASEAN交流年とされました。記念切手の発行や人的交流、文化紹介の催しなど交流年を記念したイベントの開催や 事業の実施が日本、ASEAN諸国各国で見られました。12月11日、12日には日本が各国首脳を招いて日・ASEAN特別首脳会議を開催しました。 また、2008年には日本・ASEAN包括的経済連携協定が締結され、2002年発効の日本・シンガポール新時代経済連携協定による 自由貿易協定(FTA)をASEAN全域へ拡大するステップとなりましたが、ASEAN全体と日本のFTA交渉はまだ妥結せず、 2010年に成立した中国-ASEAN間の自由貿易協定(ACFTA)が先行する事になりましたた。

